vividman’s diary

パーキンソン病の父のこと

覚書として(パーキンソンの父のこと)

パーキンソン病で闘病中の父のことを、覚書として書いておきます。

 

3月23日に発熱と息苦しさを訴えたので久しぶりに入院した。

ここ数ヶ月は、ショートステイと自宅療養でなんとかやっていたが、おむつ替えや食事の介助が大変になってきたので、有料老人ホームへの入所を急ぎたいと話していた矢先だった。このコロナ騒ぎで面会はほとんどできない。もし院内感染がおきて父が感染するか、逆に私や母が感染するかすれば、このまま父とは死ぬまで会えないかもしれない、と思うと辛い。

4/7におむつを持って行ったら、少しだけ、ということで面会できた。父は口を開けて(閉じることが難しいようだ。)寝るので、口の中がカラカラになっており、経管栄養になっているので歯磨きもしてもらえないのか、歯のまわりが真っ黒になっていた。急性期病院なので手が回らないのはわかるのだが、もう少しなんとかならないのだろうか。

 

父に最初に異変があったのは、2012年か?「死にたい」と口にするようになり、うつ病と診断されてから、それまで沢山やっていた趣味や町内会の仕事を全部やめた。ほとんど外出することがなくなり、ぼおっとしていることが多くなった。

 

2015年にやっと運転免許を返納してくれたが、運転をやめさせるのは大変だった。やることがなくなった父は、運転だけが生きがいになってしまっていた。軽い事故を何度かおこし、助手席に座るのが恐ろしいレベルの運転しかできなくなっていたのに、絶対に自分ではそれを認めなかった。その頑迷さに私は認知症を疑っていたが、そうではなかったようだ。運転をやめてしばらくして、歩き方がおかしくなった。文字が書けなくなった。よく転ぶようになった。母が、パーキンソン病だった祖母によく似ているというので市立病院に連れて行ったが、パーキンソン病との診断はおりなかった。運動療法でしばらくリハビリをしてみることになった。

 

国立病院でパーキンソン病の診断がおりたのは1年後くらいだったと思う。手の震えがないことが、パーキンソン病ではないと思われていた一番の原因だったが、他の症状がパーキンソン病によく似ているので、投薬をしてみて効き目があったらパーキンソン病でしょう、ということだった。最初に薬をもらった日、私が帰宅したら、父がテレビで相撲を見ながら笑っていた。そんな表情を見るのはずいぶん久しぶりで、これはやっぱりパーキンソン病だったのだ、と思ったことをよく覚えている。

 

今まであまり記録をとってこなかったので、いつ、どんな状態だったかが覚えている範囲でしか書けないが、メモなどを見ながら少しずつその後の経過を書き留めていこうと思っている。